国際結婚夫婦の韓流日記@ブリスベン


by Ichurch_Taka77
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Centaurの真実




  みなさんはCentaur(セントー号)という救護船の話を知っているであろうか。 

オーストラリア国内に住む日本人は少なくとも知っておく必要がある話しであろう。


時は第二次世界大戦中の1943年5月14日、ブリスベン沖、モートンアイランドから

西へ45キロ付近の海を航海中の戦時負傷者や医師、看護婦など332名をのせた

Centaurが日本海軍の潜水艦、伊177の魚雷により撃墜されたという話である。 


この話、ただ単に軍艦を沈めたというのなら戦争話の1つにすぎなかったが、

この船、読んでのごとく救護船であり、船には大きな赤い十字架マークがありいくら

戦時中とはいえ世界協定では“攻撃をしてはいけない

はずの船”であったのである。 その攻撃をしてはいけない船

を日本海軍は沈めてしまい64名の生存者以外は全て死亡

という惨事をオーストラリア政府は度々、日本政府に謝罪の要求の話

が度々オーストラリアのメディアにでてくる話である。



話の焦点は、この潜水艦の指揮官であった中川肇(はじめ)少佐への責任と

「なぜ救護船を攻撃したのか」である。彼はその後の1948年の東京裁判

(極東軍事裁判)にて日本海軍潜水艦、伊37を指揮してインド洋にてイギリス商船

を撃墜したことには判決が下りているが、このCentaurに対しては何もない。

その後も彼が亡くなる1991年までその真相が語られる事はなかったので未だに

闇に包まれている。 


しかし、当時の日本の戦時下では下記の可能性があるように思える

(私の勝手な想像ではあるが):


1.日本海軍作戦司令部からの命令で行った。

2.中川少佐本人の独自判断で行った。

3.伊177の、当時の搭載器具の質では、敵と味方の区別はついても、
救護船と軍事関連の船の区別がつかなかった。



その1:日本海軍作戦司令部からの命令



これは何も日本だけを責めるのではないが、歴史を見ても戦時中

に“ばか正直”にそんなルールをきちんと守られていたのであろうか。 

フセイン政権時代のイラクとアメリカの話だって似たような話がたくさんある

のではないだろうか。 仮に中川少佐が反対していても“上からの命令”

でやった可能性はある。 この手の話、“戦争に負けた日本”だから

クローズアップされる話であって、各国、ほじくれば似たような話

は山ほどあるのではないだろうか。

(もちろん、救護船を攻撃するという事はよくない事であり正当化

している訳ではない。) 

話はそれるが、第2次世界大戦終了後の日本に駐留している

アメリカ軍が日本の家を襲ったり、女性を襲ったりした事はどうなる。 

そして、最近では沖縄に駐留しているアメリカ軍の犯罪問題

はどうなると言いたい。



その2:中川少佐本人の独自判断で行った


  よく戦争映画にこんなシーンがでてくる。 とある最前線にいる小隊又

は中隊が、戦時状況が悪くなり司令部から撤退命令が出て、

通信を使いその命令を聞いた小隊長又は中隊長が、その撤退命令とはうらはら、

全隊員に「負けや逃げは恥だ。 天皇万歳!」とばかりに“自決(切腹)”

を命ずるというシーン。 実際、沖縄がアメリカに占領された際の、

沖縄市民が集団自決したのがその当時の隊長の命令であったのか

どうかというのが論議されている。それと同様、彼の判断で攻撃した可能性もある。

なによりオーストラリアのメディアの1部も同様な意見を可能性の1つとして

取り上げている。 なにより後に坂本金美(かねよし)少将が発表した

レポートにはCentaur撃墜の責任は中川少佐にあると記しているが、

中川少佐本人は沈黙を保ったままであった。


その3:伊177の、当時の搭載器具の質では、敵と味方の区別はついても、

救護船と軍事関連の船の区別がつかなかった



  私は潜水艦を操縦したことがないので(一般人ならあたりまえか(笑))、

あくまで想像であるが、当時の日本の物資の流通といえば、

飛行機や船を造るといい、寺の鐘を持っていったり、最後は物資不足にまで

なる国である、各搭載機器の質が悪くても不思議ではないと思う。 

潜水艦のコクピットには前を見るためのスクリーンはない。 

全て計器である。 これは潜水艦を操縦するにあたり“目で見る”のではなく、

データにて操縦する“計器操縦”だからである。 ちなみに旅客機も、

驚くなかれ、同様に目で見る操縦でなく、どんな天候であろうと70%

は計器による操縦になる。 

想像してほしい、東京からロサンジェルスまでのフライト、

上は広大な空、下はきれいな海、目だけで飛んでいては、ロスに向かって

西に飛び立ったが着いてみたらチリでしたなんてこともありうる話です。 

よって計器のみを見て、現在地と目的地を確認しながら操縦するのです。 

潜水艦の“目”となるソナーは超音波を出して返ってくる音にて周りの状況

を判断し、スクリュー音にて敵の船か見方の船、またはどんな船なのか

を判断します。 そこで疑問なのが、いくら分野によってはすぐれた軍事技術

があった日本軍とはいえ、戦争も終わりに近づいている1943年、

最後は物資不足で“きちんとした物”を造る事ができていなかった時代である。 

この伊177に搭載されていた装備だって今から考えると“ありえない

”物質で“補われていた”可能性だってある。 そうなるとソナー担当者

がきちんとスクリュー音を聞き分ける事ができたのであろうか。 

そしてなにより、当時の日本の状況では、「味方でないものは全て敵だ」

としかソナー担当者にも教育してないなんて事もありうるのでは。



メディアなどの記録を見ると、大方、2番の「中川少佐本人の独自判断で行った」

になる可能性が高いが、やはり本人が沈黙を保ったまま亡くなってしまった

ので真相は闇に包まれているが、ここオーストラリア、

特にクイーンズランド州では、

4月25日の戦争体験者をたたえる祝日、Anzac Day近辺になると、

このCentaurの話はメディアによく出てくる。特に現在の州知事、

アナ・ブライ(Anna Bligh)氏は「日本政府は謝罪すべきだ」と表明しているが、

在豪日本大使館や日本政府はそれに応じていない。

驚いた事にインターネット版の新聞のこのニュース関連の書き込みを見ると

オーストラリア人は意外にも中立の立場の意見や過去の戦争の話として

捉えている人の書き込みが多かった。 オーストラリアに住む日本人

としてはありがたい感情の持ち方であるが、ひょっとしてメディア側

もこの話に関してはあまり国民を沸騰させたくないという思惑

もありそんな書き込みは消しているのかもしれない。


私個人の意見ではオーストラリア人は軍隊や戦争に関してはあまり

良いイメージを持っていないように思える。

(左翼的な意見を持っているの意味) 日本バッシングしか頭にない

中国人とは大きな違いがある。 教育の差と人間性の差と言ってしまえば

それまでであろうが、オーストラリアにとって戦争とは、常にイギリス

に振り回された“犠牲者”というイメージがあるのかもしれない。


この4月25日のAnzac Dayというのは、Australian and New Zealand

Army Corps の頭文字のANZACであり、第一次世界大戦にてトルコ

のガリポリにてオーストラリアは歴史上初の本格的な軍事海外遠征

をニュージーランド軍と共に連合国軍に参加した際の名称である。

この戦争でオーストラリア軍とニュージーランド軍はイギリス、フランス軍

と共に、当時、ヨーロッパで勢力を振るっていたオスマン帝国(現トルコ共和国)

相手に戦って多数の犠牲者を出している。その影響であろうか、

私の目にはオーストラリア人は“戦争や軍隊の話を避けよう”という感情

があるように思える。 ちなみに、そのANZAC軍がガリポリの戦いに

参戦するにあたり、移動の際、護衛を日本海軍がやった事実と、

当時、兵器を製造できるほどの工業力がなかったオーストラリアは、

大砲など日本製の物もあった事をオーストラリアのメディア

では一切記していない。



もちろん歴史や歴史に起こった事の真実を忘れてはならぬ。 

しかし、それと同時にその歴史を掘り返す事によりせっかく良い方向

に向かっている情勢を崩してしまうというのも良くないと思う。

戦時中にCentaurという船が日本軍により撃墜されたという事実

があり、多くの人が亡くなったという事実があり、戦争を知らない

世代の人達は敵味方、関係なしにその犠牲者や犠牲者の家族

に敬意を表すべきであると思う。 


しかし、それ以上の事は無理に掘り返すより船と共に海底

に眠っていた方が良いのかもしれない・・・・・




[PR]
by ichurch_taka77 | 2010-05-02 14:33 | コラム