国際結婚夫婦の韓流日記@ブリスベン


by Ichurch_Taka77
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まず始めに断っておく。  このエッセイはあくまでスポーツ面での話であり政治

や歴史の話は一切に含むつもりはないので、そっち方面の論議はやめてほしい。



話は今大会のワールドカップサッカーに出場している北朝鮮チームの話である。 

今大会、参加国の中で一番ランキングが低い北朝鮮(105位)であるが、

不幸にも「死の組」(Group of Death)と言われているGグループ

(ブラジル、ポルトガル、コートジボワール)にいる。

大会開始前、誰もがぼろぼろになる

北朝鮮チームの姿を想像したことであろう。

しかし、16日明朝に行われた第1戦の

対ブラジル戦では2対1で負けたものの大健闘の試合であった。

1点をブラジルから決めただけでなく試合を見ていても実に気持ちがよかった。 

1年に何億円という法外な年俸をもらっているスター選手がいるブラジルや昨日

のポルトガルの選手はボールが奪われたり、

思わぬ方向にボールが行くと大抵の選手

は追う事はしなかった。 が、ほとんどの北朝鮮の選手は大抵の場面で、

懸命にボールを追っていた。 

そしてなにより私がここで一番言いたく、とても強調したいことだが、

多くのヨーロッパ、南米の選手らはちょっとラフなタックルをされたり、

なっとくがいかない判定が審判から下されると、

とってかかり相手選手や審判に文句

を言っていた。それをやり過ぎてイエローカードをもらう選手すらいた。 

もちろん、それは人間なら誰しもがやってしまう事であろう。

しかし、私が北朝鮮の2試合、ブラジル戦とポルトガル戦を見る限り、

それをやった北朝鮮の選手は一人もいなかった。

どんなに強いタックルを受けようが、

すぐに立ち上がり次のフリーキックの体制に入り、(本当に長く倒れている選手

はいなかったと思う)どんなホイッスルを受けようが決して審判に言い詰め寄る事

はなかった。 そればかりか、倒れた相手選手に手をかざし起こしてあげたり

(もちろん他国の選手でもやる人がいたが、北朝鮮の選手に多かったように思う)、

審判に抗議している相手選手の肩をポンとたたきなだめたり、

実に見ていてとても気持ちが良い光景であった。 

どんな状況でも懸命にボールを追う姿、決して相手選手や審判

に抗議しないスポーツマンらしい態度、スポーツマンとしてとても

美しい姿だったと思う。 


そのせいもあってか、昨日の試合、前半を1-0で折り返し、

これはまたブラジル戦の再来かと思わせたら、

後半になりそれが一気に崩れ去り、ゴールを次から次へと

決められてしまった。 不思議と私も、まるで日本を応援するかのように北朝鮮

を応援してしまった。

「ひょっとして彼ら帰国とともに死刑にされるのでは」という心配と共に・・・・


そして次に私の目をひいたのは、前半が始まって何分頃であったか、

大雨が降り出した。

ポルトガルの選手は「こんな雨の中ではやりたくない」

と言わんばかりの顔であったが、

北朝鮮の選手はいかにも「こんな事、日々の訓練で慣れています」と言わんばかり

に平然としていた。(何の訓練でしょうか?(笑))

そして、逆に北朝鮮の選手の方が、動きが良くなったような気もした。


しかし、やはり後半になると、世界ランキング3位との

差がゴール前で出てしまった。

ミスもあったが絶妙なパスワークにより次から次へと

ゴールのオンパレード、最終的に7-0と歴史に残る大差で負けてしまった。


やはり北朝鮮となると海外からの評判を気にしてか、

“そのようにマナーが良い選手に仕立てている”

という考えもできるであろう。(そうなれば、私はだまされた事になるが(笑))

しかし、あの北朝鮮である、そんな“スポーツマンシップ”

より勝敗の方が何より優先であろう。(まあ、どこの国だって今はそうであろうが)

“それに徹底させる”という可能性は薄であろう。

何より何年か前の出来事であるが、相手の中国も悪いのであろう

が女子サッカーの中国対北朝鮮戦で両チームファールの応酬、

あげくの果て試合後に乱闘にまでなるという

試合があったのを記憶している。 


今回の北朝鮮の2試合を見て感じたのは、北朝鮮チームにはいわゆる“海外組”

と言われる国の外でプレーしている選手が在日韓国人・北朝鮮人選手の2,3人

であるという事であろう。 ひょっとすると中国リーグ

の経験者もいるかもしれないが、日本や韓国のチーム

のようにヨーロッパや南米リーグ経験者というのはまずいない

であろう。 もちろんそれは、“国を出れない”

という北朝鮮事情もあるからであろうが、

仮に国が監視付きの派遣であったとしても、

ヨーロッパや南米リーグに選手を派遣して

“外の国のサッカー”というのを習得できるならば、北朝鮮サッカーチーム

がベスト4進出常連国になる日が必ずくると思うのだが、

今の北朝鮮状況ではそれは無理な願いであろう。 


しかし、いつの日か仮にそうなったとしても、今日の試合のような闘士

あふれる姿とフェアプレー精神は忘れないでほしい。 


彼らを見る事ができるのが、あと1試合なのがとても残念である。 

彼らの帰国後の安否を心配しつつこのエッセイを終了する。




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# by ichurch_taka77 | 2010-06-22 19:00 | コラム


さて、南アフリカで行われているFIFAワールドカップサッカー

は出場国の最初の試合が全て終わりこれからそれぞれの2試合目

の対決に入る。 あまり期待をしていなかった日本が勝ったり、

誰もが勝つと思っていた強豪スペインが、守備を重視したスイス

に負けたり、今回も楽しいひと時を過ごさせてくれている

トーナメントとなっている。



今回はそんなサッカーの話だが、みなさんは学生時代にサッカー

をやっていたという友人が、ポジションはどこをやっていたという

質問に対し「DF(ディフェンダー)」と答えたらどう思うであろうか。 

当然、サッカーと言えばFW(フォワード)の方が響きがよく、

かっこいいであろう。 

私の勝手な意見かもしれないが、おそらく一番響きが良いのがFWで、

一番響きが悪い、そして目立たないのがDFではないだろうか。



実は私、小学校2年生から5年生まで千葉県の地元にできたばかり

の少年サッカーチームにいた。 今では県内の強豪にまでなっている

らしいが当時はできたばかりもあり、たいして強いチームでもなかった。 

そんなできたてチームにて私のポジションはDFであった。 

自分で言うのもなんだが、私は運動神経はある方だと思う。 

しかし、当時私は蓄膿症があり週に1,2度は耳鼻科に通い治療

を受けていた。 鼻はいつも鼻汁で詰まっていて、

冬なんか大変であった。 そのせもあったのか、マラソンはいつも

思うように走れなかった。 なんせ鼻からの呼吸がうまくできないので、

当然、長時間走り続けると呼吸が乱れてくる。

そんな私を監督はDFにした。 


当時、ちょうどあの人気サッカー漫画、「キャプテン翼」

の連載が始まった頃である。 小学校では昼休みになるとみんな

外にでてサッカーなどをしていたが、漫画の影響であろう、

“当然”みんなFWである“翼くん”になりたかった。 

もちろん、私もその1人であった。 翼くんの得意技でもあった

“ドライブシュート”だとか言い、遠くからシュートを放っていた

ものである。 

(注:野球で言うフォークボールのように縦に落ちるシュート。

“漫画”ではゴール上空から落ちるようにゴールにつきささる。(笑))


そんな背景もあり当時、小学生であった私の頭の中での理解は、

「足が速くゴールを決めれるやつがFW, 

1試合中マラソンランナーのように走り続けれるやつがMF、

ドッジボールが得意なやつがキーパー、

そして、やるポジションがなく“あまったやつ”がDF」と思っていた。 

少なくとも私が所属していたチームや試合相手の連中を見ていると

そう思えてならなかった。 何度か監督やコーチにFWやMFにしてもらう

ように頼んだが返ってくる返事を当時の私はまるで理解ができなかった。


「何を言っているんだ! 君がDFをやらず、誰がうちのチーム

のゴール前を守る!君はDFのエースだよ!」 

この言葉を言われた事を20年以上もたってまだ覚えている。 

そして、その言葉を全く理解できず、逆に悲しんだ当時のフィーリング

も同時にまだ覚えている。


この言葉を理解したのははたして何歳の頃であっただろうか。

サッカーのフォーメーションを良く理解し、あれこれ本を読んだり

ネットでそれ関連のページを見るようになった20台半ばの頃では

なかっただろうか。 当時の私からすればDFは“あまりもの”、

“何もできないやつ”のポジションであるのに、

なんで監督やコーチが私を“あまりもの”として絶賛するのか全く

理解できなかった。というより、その“あまりものエース”とでも

思っているのかとも思い少々の怒りもあった。

(ようするに、2,3流の下級人間の中では、ベストのやつ)

そんな“おもしろくもないポジション”をやっている私、

試合だって楽しいものではなかった。 

おそらくそんなふてくされた気分でやっていたせいであろう、

監督やコーチ、相手チーム、そして両親が「今日はナイスプレー

がたくさんあったね」とほめられても何を言われているのか

100%理解できなかった。 私からすれば、「俺は翼くんみたいに

ゴールを決めた訳でもないのに何を言っているのかこの人たちは」

といつも頭の上に?マークが飛んでいた。

確かに今でも、県内の大きな試合で、しきりに相手チームのFW陣が

「あいつには気をつけろ」と私を指差していたのを覚えている。

その場面だって、それは普段おとなしい私が試合では人が変わり

ラフにタックルしていたのを恐れているだけであろうと思っていた。

なんせ、私は“あまりもののDFくん”であって翼くんではない。

人から絶賛される理由なんて何もないわけである。


そんなおもしろくもないスポーツに私は嫌気がさしてきて、

もともと野球が好きであった私のところへ親しい友人から

少年野球チームの誘いがきた。 


「石の上にも3年」の私の両親の教えにも従い3年たった

小学校5年生で親からサッカーをやめてよい許しをもらいチームを去り、

いざ野球チームへ入った。小学校6年生と中学で野球をやった。 

そして月日が流れ、私はプロゴルファーを目指し高校からアメリカ

へ渡った。 アメリカの学校の部活は、日本のように1つのスポーツ

を3年間やるのではなく、季節に応じてそれぞれ部が開催され、

トライアウトにより選ばれた人のみがそのスポーツをする事ができる。 

よって卒業までに3,4つのスポーツを経験する事ができる。 

私が通っていたオレゴン州の高校は運動には力をいれておらず、

こじんまりとした部が多かったが、一応サッカー部もあった。

時は1990年。 当時のアメリカはサッカーって何? というくらい、

それはちょうどクリケットを知らない日本人のように超マイナー

なスポーツであった。 サッカーを経験している私は、

部のトライアウトに全く問題がなく受かるばかりでなく、

なんと、なんと、あの小学校の頃、あれほどあこがれた翼くんの

ポジション、FW。 しかもセンターフォワードのポジション

を手に入れたのであった!!  


高校時代の私はまさに翼くんそのものであった。 

ドライブシュートこそできなかったが(笑)ポイントゲッター

としてチームの中心人物になれたのである。


上記のように当時のアメリカ、サッカーをやるアメリカ人なんてごく

稀であった。 周りの強豪高校のサッカー部員は当然のごとく

南米やヨーロッパからの留学生でしめていた。 


そんな私のチームであったが、ここでも私が小学校の頃いだいていた

「サッカーポジションの方程式」どおりのフォーメーションであった。


FWにはサッカー経験のある私とクラスメイト(アメリカ人)

つなわちボールを蹴ることができる人、MFには冬にはマラソン部

に所属するやつら、キーパーには、ドッジボール部はなかったが、

バスケットボール部に所属する背が高いクラスメイトがそれぞれつき、

“やっぱり!!”というべきか、私が小学校の頃から抱いていた思い

を証明するかのように、今回サッカーをやるのが初めてという連中ら

がDFのポジションについた。 


目的があった高校留学というせいでもあろうが、

とにかくアメリカの高校、特にサッカー部活動はとても楽しかった。 

夢がかなって翼くんになれたのが大きな要因であろうが試合で得点

を決めた際は、なんだか自分がワールドカップの代表にでもなった

ような気分であった。 

もちろん、それが私が公式戦で奪った生まれて始めてのゴールである。


そんな楽しかったアメリカの高校時代のサッカーであったが、

月日が流れて私は20代の半ばを過ぎた頃、おそらく時は2002年

の日本と韓国で開催されたワールドカップが開催されている頃であろう、

その頃になると“ようやく”アメリカでもサッカー人気がでてきた頃

でサッカー関連の番組、雑誌、本、サイトなどがたくさん出回り始めた。


当然、大人になれば物の見方は子供の頃に比べ大きく変わる。

そのワールドカップブームにて出回っている出版物を読みながら

私はサッカーのフォーメーションなり戦術なりを勉強するようになった。

そうなると当然のごとくあの小学生の頃、頭にあった私の

「サッカーポジションの方程式」が頭をよぎった。 

確かにDFの方がMFやFWに比べて走る量が少なくてすむせいか年齢

が高い選手が代表に選ばれたり、長いプロ生活を送ったりもしている。

(もちろん例外もある)しかし、DFが“あまりもの”のポジション

でないというのをいろいろな出版物を読んで気づいた、

と言うよりそれに気づくのにいったい何十年かかっているのかと、

そんな自分にあきれたりもした。昔に比べてフォーメーション

が多彩になりいろんな場面に適応できる選手を求める現在なら

なおさらの事である。


 
そしてそんな私の人生を回想するかのように、

ふっと頭の中でIF(もしも)妄想ゲームが始まった。



私が小学生の頃に:

IF(もしも)私がDFというポジションをもっと理解し、

自分の天性のポジションだと気づいていたら・・・



IF(もしも)当時の私がサッカーの各ポジションの性質と重要性

をもっと理解していたら・・・



IF(もしも)漫画「キャプテン翼」の主人公、大空 翼くん

のポジションがFWでなく、DFだったら・・・



人生を“ああだったら”とか“こうだったら”なんて後悔するような

センテンスを言いたくはない。 人生は前を見るのみと思っている。 


しかし、この押さえ切れないIF(もしも)妄想をもう一言だけ

言わせてもらうなら。



IF(もしも)上記の3つがIF(もしも)でなく

Was(そうだった)なら・・・・・・



私は野球をやっていなかっただろうし、そうなるとゴルフをやって

いなかったであろう。(野球からゴルフに移ってプロゴルファー

を目指すようになった経緯は後日に) それは確かな事である。 

そして、そうなればアメリカに留学という事は100%

なかったであろう。 

おそらくサッカー留学という名目でヨーロッパのどこかの国へ

行っていたに違いない。


そして、

IF(もしも)私がプロサッカー選手を目指してヨーロッパ

に移り住んでいたなら・・・・・・


今週末、6月19日(土曜日)のオランダ戦の日本代表のDFに

私の名前があったかもしれない。


なーんていうのは、言い過ぎかもしれないが(笑)、

どこかのヨーロッパの国の4部か5部くらいのプロリーグ

に私の名前があったかもしれない・・・・


それは確かなことかもしれない・・・・・



ちょうど私の名前がアメリカの下っ端のプロゴルフツアー

にあったように・・・・



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# by ichurch_taka77 | 2010-06-17 20:12 | コラム

天国からのささやき



その風景はいつもと変わらぬ風景であった。 

夕方の成田空港、夏休み真っ只中とあって海外旅行へ行く家族連れで

空港はにぎやかであった。一昔では海外へ行くなんて限られた人のみ

のものであったが、現在では国内旅行へ行くのと同じ感覚である。 


そんな海外へ行くのがめずらしい時代に育ったおじいちゃんとおばあちゃんは、

たまにだが、うちの家族と一緒にハワイへ旅行にでかける。6人家族(4人兄弟)

に2人を足して総勢8人の大移動である。

両親とおじいちゃん、おばあちゃんはあのハワイの常夏でありながらさらっとした、

きもちがよい天気がとても気にって入るようで、ハワイで何をするというより

のんびりするのが好きなようで、毎回それは楽しみにして

成田に向かったものである。


大人になってからこんな疑問が沸いてきたが、おじいちゃんとおばあちゃん

は第2次世界大戦の時代の人である。

おじいちゃんはれっきとして戦争に行っている。

そんな“敵地”の観光地に行く思いとはどんなものであるのか。

しかも場所はあの“パールハーバー”があるハワイである。 

大人になった今、聞いてみたい事でもあった。 

そんな事よりおじいちゃんは夜寝る時にヒリヒリしないようにと、孫である私らに、

ハゲかかっている頭に日焼け止めクリームをぬってもらうのを楽しみ

にしているようであった。 

そして、毎回、帰りの飛行機の中で「死ぬ前にもう一度来たい」

とまるでテープレコーダーに録音したかのように一字一句同じ言葉を言い、

お父さんが「ああ、そのためにも元気で健康にいなければね。

酒とたばこを控えなきゃ」とこれまた、同じ内容の返答をする

という親子の会話を毎回聞いていた。



今回もそんな和やかな雰囲気の旅行になるのかと思いきやチケットカウンター

へ向かう途中のエレベーターの中でおじいちゃんの具合が急に悪くなった。 

突然、口をおさえこみ、むせているようである。 心配になり私はおじいちゃん

の背中をさすったが、いきなりもどしてしまった。

エレベーターの中にはうちの家族以外の他人も乗っていたが、

そんな事より急に体調が崩れたおじいちゃんが心配でならない。

私はおじいちゃんの腕を支えながら、背中をさすってあげていたが、おじいちゃん

は何度も嘔吐してしまう。家族は心配そうに見つめ、

運悪くエレベーターで同席してしまった他人は迷惑そうに見つめ、

お父さんはなんだか“この時がきたか”とでも言いたそうに、まるで何か

をあきらめたかのように「ああ、しょうがないな・・・」とぼそりと言った。 


エレベーターのドアが開いたら私はおじちゃんをだくように支え、

チケットカウンターでなく医務室の方へとお父さんと向かった。 

後方では、これからエレベーターに乗ろうとしている他の乗客が無残

にもエレベーター内に散らばっている嘔吐を見て叫んでいる声がしたが、

そんな事なぞ気にもせず私はおじいちゃんを抱きかかえ医務室へと走っていた。 

そして、そんな慌てて空港内を走り回っている周りのシーンが急に空港から

病院の入り口に変わった。 

はっと気づいた次の瞬間、家族全員が緊急治療室の前で心配そう

に待機しているシーンとなった。 しかし、おばあちゃんだけはなぜかいつもの

おだやかな表情で立っていた。それはまるで長年連れ添った人のみができる、

悲しむのでもなく喜ぶのでもなく、そっと何も言わずに別れを告げるかのような

笑顔であった。



この話、実話でなく今日の朝、寝ている際に見た夢の話である。 

家族でハワイ旅行に行く話は実際にあった話だが、おじいちゃんが成田空港

で体調を崩した話は実話ではない。

毎回、けがも病気もなく楽しい家族旅行であった。 


しかし、おじいちゃんは10年ほど前に肝臓がんで亡くなっている。 

さすが戦争に行き銃を人に向けた経験があるとだけあって根性は豪鉄のごとく

備わっていると言いたいところだが、それが逆に命取りになり寿命

を縮めたような気がする。

「これくらいは、たいした事はない」とがんが見つかり体調が悪くなってもろくに

医者に通おうとはしなかった。 

そして、おじいちゃんが亡くなって数年後、私が小さい頃から枕元

で何度も聞かされていた言葉、「おばあちゃんはTちゃん(私の事)のお嫁さん

を見るまでは長生きするからね」という言葉をまるで

きちんと有言実行するかのように、

私が結婚して1年後に静かに永眠した。 



朝起きても、ベットからなかなか出る事ができなかった。 

なんだかぼーとしてしまい、家族みんなで行ったハワイがなつかしいような、

がんこなおじいちゃんがたくましいような、やるせないような。 

そして、おばあちゃんの、「おばあちゃんはTちゃんのお嫁さんを見るまでは

長生きするからね」という言葉がいまだに頭から離れないでいるのに何という言葉

で現してよいのかわからない、何とも言えない気分でベットの脇にしばらく

座ったままでいた。 もちろん楽しくはないが、悲しくもない、

何と表現してよいのかまるでわからない気分であった。 


ふっと壁にかかっているカレンダーを見たらもう6月である。 

そういえば6月は、ハワイへ行く8月に向けてそろそろ

“家族会議”をする時期である。 

8人総勢のスケジュールを合わせるのに始まり、ハワイで何をするかなど

話し合ったものである。 


私の寝室の窓から外を見ると、ここクイーンズランド州

のいつもながらの快適なすんだ空が見えた。 


そんな空を見上げながら、「さあ、6月だよ。 そろそろハワイ旅行に向けて

家族会議しなきゃ」とおじいちゃんとおばあちゃん

が天国からささやいているのかな・・・・ 


そう思えてならないし、そんな声が聞こえてきそうな、

すんだ青色の空であった。



おじいちゃん、おばあちゃん、僕は夫婦二人で幸せにくらいていますよ。

お二人もお元気でね・・・・



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# by ichurch_taka77 | 2010-06-05 20:57 | コラム

やっぱり俺は犯罪者?



先日、こんな事があった。



妻がOffice Worksというオフィス用品や文房具などを扱う専門店

にてコピーをしに行ったそうな。勉強している本のページのコピー

を数箇所ほしかったらしいのだが、数ページのはずが何十枚

のページ分の料金を払ってきてしょげていた。 

そして、「コピー機ってこんな事できたんだ!」と言う。 


みなさんはご存知であろうが、コピー機はコピーサイズを1対1

から凝縮したり拡大したりすることができる。 

それを知らなかった妻はあれこれA4サイズでない本を

“四苦八苦のコピー運動“して数十枚のコピーとなってしまった

らしい。 後に店員に助けてもらったらしいが、

この”事件“を聞いて、”今になりやっと“結婚した当時

に周りの友人に言われた事をしみじみと実感した。




私たちは今年で結婚して6年になるが、結婚当時、

妻は韓国の短大を卒業後に日本に語学留学しその矢先に

私と出会い結婚した。 そうである22歳の社会人経験“なし”

の女性である。 おまけに当時、日本はヨン様を中心とした

韓流ブーム、周りの友人に結婚をする事を話すといつも

こんな会話だった。


Taka: 「今度、結婚する事になったよ。」

友人:「へー! おめでとう! で、相手は何人?」

(注:海外生活が長いせいか、ほとんどの人がこの質問をした。)

Taka:「韓国人だよ。 日本で出会ったから日本語べらべらだけど。」

(注:いまだに私は韓国語をしゃべれません。(涙&罪悪感))

友人:「へ~~~!韓国!! 冬のソナタだ~~~!」

(心の中で:「こういうのを“ドラマの見すぎ”というのだろう。」)

Taka: 「(笑)まあ、俺らの話はドラマと全然違うけどね。」

(心の中で:「冬のソナタ見た事ないし。」)

友人:「で、何歳なの彼女?」

Taka: 「22歳。」

友人:「えええええ~~~!! 犯罪~~~!!」

Taka: 「・・・・・・・・・」



このような会話は100人中100人とも同じパターンでした。(涙)

相手が韓国人と言うと“冬のソナタ~”と言い、

相手が22歳というと“犯罪~~”と言われ。


当時は何を言っているのだと“いつもどおり”人に言われた事

は何事もなかったかのように聞き流していたけど、

あの時の会話が今になり実感を得た。 


そうか妻は学生生活が終わってすぐ結婚したらオフィスなんぞで

働いた事がないからコピー機の使い方もろくにしらなかったんだ。 

なんとまあ・・・・



そりゃ、学生の時だって教科書や本をコピーする機会

はあったであろうが、サイズの凝縮なんぞ必要

もなかったのであろう。 

(逆にろくに勉強もしていなかったのではとつっこむ事

もできるが、さすがの私でもこの状況ではできません。(笑))



世間では若い女性と結婚したがる傾向にあるようだが、

“それ”を狙っているみなさん、上記のような事があっても、

すこしは大目にみてあげましょうね。 


まあ、妻はコピー機の使い方をろくにしらなくても、

彼女が作る韓国料理はとてもおいしいのでよいのですが、

なんだかかわいそうな気がしてならない・・・・



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# by ichurch_taka77 | 2010-06-03 20:27 | コラム



  少々前のニュースであるが、オーストラリアという国

を一言で言うなら、良い言葉で言えばおおらか、

悪い言葉で言うならいいかげんという言葉がこの国に住む多く

の外国人から聞かれるであろう。 

しかし、ここまで“アホ”な話を聞かされると国柄というより頭

の中身まで疑いたくなる話である。



ここブリスベン市内の路上にあるパーキングメーターの話であるが、

なんでも路上に車を駐車してパーキングメーターにコインを、

駐車しておきたい分のお金を入れていざ帰ってきてみるとメーター

は“とっくのとお”に終わっていてみごとに駐車違反切符

をきられていたという話である。 

そしてその駐車違反の切符の時間を見てみると“お金を払ったはず”

の時間に切られているのだ。 

ようするに、1時間分のお金を払って駐車して、

1時間後に帰ってきてみると車に駐車違反の切符が切られていて

切られた時間が30分前になっているという訳である。 

ようするに、1時間分払ったのに30分後にメーターは終わっていて

駐車違反になったといういい加減な国ではすまされない話である。 

そんな“アホな話”に苦情が殺到した市は、調査したところ、

なんとメーターの時間勘定が25分くるっていたという事を発見

したそうだ。 なんでもこのメーター、最近になり新しくした物

らしいが、その導入の際にプログラムでもくるっていたのであろう。 

ケルビン・グローブ、ウールンガバ、とウエストエンド地域にある

メーターが一番問題になっているようである。 


ちなみに去年のブリスベン市のパーキングメーターによる“売り上げ”

は$15億だったそうな。 


そりゃそんなに儲けるだろう・・・・・ 



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# by ichurch_taka77 | 2010-05-25 20:19 | コラム

おっさん、時給いくら?




昨日の事である。 

いつもと変わらない綺麗な風景を横目に仕事をしていた。 


現在の私のオフィスはブリスベン市内のど真ん中にある

ビルディングの21階である。 ブリスベン市内のど真ん中

からサウスバンク方面に窓が面している為、

ブリスベン川(ブリスベンリバー)が見える。


窓から外を見ていると音もなくCityCat(水上バス)やバス、

右往左往に歩いている人たちを見る事ができ、

それはまるで何かの映画のワンシーンをミュート(音を消す)

にして見ているかのような光景である。



そんないつもと変わらない朝の出来事であった。 

普段は外からの音なんか一切聞こえないのに、

その時ばかりは何かが窓ガラスにあたる音がした。 

すると、あるおっさんが窓をそうじしていたのである。 


その背丈もちょうど普通の大人が家の外から、

外回りを掃除しているかのような光景で「ああ、掃除の人か」

としか思わなかった。 


が、なぜかこの出来事だけは理解するというか、

気づくのに数分かかってしまった。 


私の頭の中で、“家の外回りを掃除する人”というセンテンスと、

“ここは21階”というセンテンスがきれいに1つの文になるのに

数分かかってしまったのである。 

それが1つになったとき、思わず叫んでしまった

「ええ!! 21階の外に人が!!」 

あわてて窓際に行って詳細を確認できた。 


もちろん彼は空を飛んでいる訳でもなく、スパイダーマンでもない。 

しかし、以前何度か見た事のある高層ビルディングの清掃

はゴンドラのようなものを使いやっているのしか見た事がない。 

添付してある写真をみてほしい。 

彼らは、ロープ、しかもたった2本のみで、

ぶらさがっているのである!! 

しかもそのロープ、よく見ると状態はよくない。 

窓を開ける事はできないが、もしできるなら、

はさみでちょっきんしてしまえば、彼はそれで人生を終える。 


なんとも無残な死に方であろう。 「古びたロープ2本で高層ビル

のそうじをしてたらどこかの階のやつがはさみを窓から出して

切られて、落ちて即死でした」なんて。 


それにしても、彼らは絶対に陸軍のレンジャー部隊か、

消防の救助隊にでもいた人間であろう。 

そのたった2本のロープを巧みにあやつり上へ下へ、

右へ左へとても器用に“飛んでいた”。 

それはまさにスパイダーマンの姿そのものである。 


隣の人に、「ちょっとブラシ貸して」とぴょんと右へ。 

それを受け取り、ぴょんと左へ。 まさに芸術的な動きであった。 


ルパン三世ではないが、彼らが夜中にオフィスに忍び込むなんて

朝飯前というような雰囲気さえあった。 


それにしても、この手の危険な仕事って時給いくら位

なんでしょうね。 


週末のバイトにやってみたいような気もするが・・・・・





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# by ichurch_taka77 | 2010-05-19 20:48 | コラム



私のオーストラリア人の友人でPrison Fellowshipという

非営利団体のクイーンズランド州支部の運営を任されている人がいる。 

40歳なかばくらいの彼は80年代、宣教師として新宿に数ヶ月住んだ事

があるらしく日本人にはとてもフレンドリーである。 

その新宿滞在中、日本の物価が“そこまで”高いとは知らずに

宣教師団体からは十分な食費を持たされずパンにベジマイト

(オーストラリアに住んでいる人ならご存知、国民的食にもなっている

ジャムのようなもの。 主にパンにつけて食べるが決して甘くはなく、

何味と説明するのが苦労するくらい特殊な味である。)

をつけて毎日を過ごしたという笑い話をしてくれた。 

まあ、日本の物価というより新宿なんぞに滞在したのが運

が悪かったのであろうが。(笑)



このPrison Fellowshipという団体の活動内容というと、

英単語を読んでで字のごとく牢屋にいる人に宣教する団体である。 

悪い事をして牢屋に入った人を聖書を使い改心させようというもの

である。 驚いたのがただ単に宣教するのみならず、

彼らが牢屋から出た後のサポート、住居の手配、仕事の斡旋、

なんとこずかいまで場合によってはあげているというから、

その活動を仕事にしている彼らには頭が上がらない。 

彼らの活動がうまくいき牢屋に行った人が改心してくれれば、

それはさぞかし良い世の中になるであろう。 


ここまで聞くと、とても苦労が多いがやりがいのある仕事のよう

に聞こえる。 


が、私は彼には直接言わなかった・言えなかったが、

“加害者の心配をする前に、被害者どうなる?”である。

牢屋に入った人々は"何かの理由“があって入っているのである。 

彼らによって被害を受けた人は牢屋に入った人達以上に、

そして誰より先に助けが必要なのではないだろうか。 

残念な事に、どこの国でも、日本でもアメリカでも、牢屋の管理費、

強制プログラムなどには、政府は十分なお金を使うが、

被害者の為のプログラムやサポート団体には十分なお金

を使っていないように思われる。 被害者とは読んで字のごとく、

”被害を受けた人”である。 真っ先に助けが必要なのは彼ら

なのではないだろうか。 政府が十分なサポートをしていない

からこそ、こういう団体の出番だと思うのだが、

どうやら、火事があっても火を消してその後のサポートをするより、

その出火原因をつきとめ、さらなる出火をさせない事

を優先しているように見えてしかたがない。 


もちろん、私の友人がやっている事に対して文句を言うつもりはない。 

そればかりかすばらしい事だと思う。 


しかし、私が言うような被害者をサポートする団体・政府主体

のプログラムの数が加害者をサポートするものより

あきらかに少ないのは残念である。 


それに気づいている政治家はいないのであろうか・・・・・




Prison Fellowshipのホームページ:

(ここをクリック)
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# by ichurch_taka77 | 2010-05-13 20:23 | コラム

頭脳的変則スイング



みなさんは、野球やゴルフなどで「なんだありゃ」って思うほど

変なスイングを見た際、「これで大丈夫?」と心配する他、

何か頭にうかぶ言葉はあるであろうか。 

決して変則スイングを真似しろとは言わないが、

“時として”それが良い場合もある。 

それが今年度ドラフト1位にて巨人に入団した長野選手

ではないだろうか。(注:“ちょうの“と読む)



彼の経歴はすごいというべきなのか、変っているという

べきなのか、なんとドラフトを2回も断り3度目の正直

で巨人に入団している。 それも彼は巨人入団を熱望していた為、

大学生時代の日本ハムファイターズの4位指名、

社会人時代の千葉ロッテマリーンズの2位指名をそれぞれ巨人

に入団したいという理由で断っている。 

どういう経緯があったかは知らないが、日ハムに関しては

「12球団で一番嫌いな球団」という言葉を残している。 

“巨人に入団したいからドラフト指名を断る”という件では、

1989年のドラフトでダイエーから指名されて断り1年間ハワイへ

野球留学して次の年にて晴れて巨人に指名され入団した元木選手

を思い出す。 そして“ドラフトを2回も断って3度目の正直で入団

した選手”といえば、あの「空白の1日事件」の立役者

(私は小林繁選手と共に被害者と記したい)の江川卓選手を思い出す。 

偶然かここにあげた選手は全員巨人であるが、“そこまでして”

巨人に入りたいと思うのは“経済力のある巨人”という理由の他

にあるのであろうか。 選手の立場から見てしっかりとした

育成システムがあるとか、練習施設が整っているとか、“プロの目”

で見た選択をしているならまだしも、ただ単に“巨人ファンだから”

という理由で入団したのならそれはプロ意識もへったくれもない。 

もちろん、上記の3人はそんな理由ではないであろうが。 

それにプロの世界、実力がある人が更に高給を求めるのは当然の事

であるから仕方ない事なのであろうか。



さて、この長野選手、TVなどで見たことがある方はご存知の通り、

“極端にバッターボックスの外”に構える打者である。 

この点は彼が2度もドラフトを断った事と同様にメディアではあれこれ

と言われていた。 「あれだけ外に立っていればプロレベル

のコントロールの投手の投げる外角球を打てないだろう」と。

実際入団したばかりの際は篠塚打撃コーチに直されようとしたようだが、

最終的に彼のスタイルになっているようである。 


なぜ彼がそんなに外に立っているかというと、まず離れて立つ事により

内角が内角でなくなるという点で有利になる。 

そして、何よりそういうスタンスに“惑わされた投手”が投げた外角球

をみごとにステップを踏み込んで打っている。 

それはまるで、その球を狙っていたかのように。 


まだ開幕してから1ヶ月ちょっとしかたっていないが、

今の地点で彼の悪口を言う人はいないであろう。 

それくらい1軍にてしっかりと活躍している。 

「彼はプロの外角を打てないであろう」と言った評論家は見る目

がなかったのであろう。 



そんな彼のスイングを見ていて思い出した選手がいる。 

1986年と1987年の2年間西武ライオンズに所属していた背番号24、

ジョージ・ブコビッチ選手である。 

当時、小学生であった私の周りでは、おもしろがって彼の

バッティングスタイルを真似するほど“変則”なものであった。


左打者であった彼は、通常、投手の投球ラインに平行に立つの

をなんと背中とケツが投手に見えるくらい、というより見せて立つ

“究極のクローズスタンス”の打者であった。 


誰がどう見ても、そんな打ち方では内角を打てないであろうと

言われていた。(それはもとより、“そんな打ち方でよく打てるな”

という意見の方が多かった。)


しかし、彼は外角の球を軽いステップでレフト方向へ、

“問題の”内角をなんの苦労もなしにきれいにライト方向へ打っていた。


おそらく彼の場合、アメリカンベースボールの打ち方、

体重を捕手側にかけて構える打ち方をしていてそれを打球を打ち分ける

為にしたクローズスタンスが段々とその角度が大きくなりあの

スイングになったのではないだろうか。 

そんなスイングでも2年しかいなかった彼は2年通算で32本のホームラン

というそこそこの数字を残している。



長野選手にせよ、ブコビッチ選手にせよ、“人と違った事”

をしているには“訳”があるからである。 

それを見て、「変だからプロでは通用しない」なんていうコメント

を残すのは、おかしいというのをこの2人は物語っているような

気がしてならない。ましてやそれをプロ野球評論家が言ったのなら

なおらである。 なにより、プロの世界とは「結果が全ての世界」

である。 どんなスイングをしていよと結果が良ければそれを

“良いスイング”と賞され、結果が悪ければ“変なスイング”

と罵声をあびる。 長野選手だって仮に2軍でもろくな成績

を出していなければいまだに「外に構えるスイング」

をたたかれ続けていただろう。 


“プロ野球ファンの井戸端会議“でそんなレベルの話がでるなら

まだしも、プロ野球を実際に経験してきた”プロの“解説者が

「変則である理由」も解説できずに見た目だけでコメントして

いるような記事を良く見かけるのは残念である。 


私は中日ファンであるが、この長野選手の”

頭脳的変則スイング“にはあっぱれ!!である。



昔から「出る杭は打たれる」と言うが、その杭をわざと出す理由

と自信があれば、打たれたってへっちゃらという事であろう。




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# by ichurch_taka77 | 2010-05-11 18:03 | コラム

さあ始まる極楽の日々?




先週の木曜日から私のボスはなんと1ヵ月半の休暇に入った。

会社の社長でもあるボスが1ヶ月半もの休みを取れるのだから

日本から見たらとてつもなく“ありえない”世界であろう。

しかし、ここオーストラリアでは“当たり前”の事なのである。 

もちろん入社したばかりの人がそんな超長休暇をもらえはしないが、

オーストラリアの労働基準法には10年同一の会社で働くと1ヶ月

の有給休暇がもらえるシステムになっている。 


それはもとより本来、オーストラリア人の休暇というのは1ヶ月

くらい休んで家族でその旅先にロングステイするのが彼らの

休暇スタイルらしい。オーストラリアの大手旅行代理店である

Flight Centre(フライトセンター)の歴史を見てもそれを

物語っている。 この会社、開業した当時はイギリスをメイン

とするヨーロッパを旅行するオーストラリア人に航空券とホテル

のパッケージなどを家族に販売するのをメインの業務としていた。 

そのような旅行パッケージとなるとせいぜい1週間から2週間かと

思いきや、“1ヶ月もの“がほとんどだったらしい。 


今から考えるとそのようなロングステイパッケージを家族

に販売するなんてなんて単価が高いビジネスだったのであろう。

それをメインの業務にできるくらいオーストラリア人は1ヶ月

のロングステイを”通常の旅行“と考えていたのであろう。 

同様に、ここオーストラリアの観光地にてたまに出会うヨーロッパ人、

特にドイツ人、スイス人あたりも同様な旅行スタイルをとっている

ようである。 1ヶ月休暇をもらいオーストラリア国内を旅行している

とか、そういえばアメリカの大学に通っていた頃、

その1ヶ月の休暇を利用して短期留学しているというヨーロッパから

の留学生に何度か出会って休暇の長さに驚いたものである。 


今更言うのもなんだが、日本の会社とは大違いである。 

もちろんその日本の”勤勉な態度“が日本経済を支えてたのは

言うまでもない。 しかし、日本経済がこれほど崩れた今、

少しは生活スタイルも変えてはよいのではと思うのだが、

そうもいかないか・・・・



そう思うと、オーストラリアに住んでて良かったと思う

今日この頃である。 その“オージーな旅行”に行ってしまった

ボスだが、それに“便乗”して私まで頭は旅行気分である。 

もちろん、やる仕事はボスがいてもいなくても同じだが

この私の日記のUpdateの回数は確実に増えるでしょうね。(笑)


でも、1ヶ月の旅行に行くとしたらどこに行くかな? 

なんだかどこの国に行ったって2週間くらいであきちゃいそうな

気がする。 


やっぱ俺は日本人かな?(笑)




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# by ichurch_taka77 | 2010-05-05 16:51 | コラム

Centaurの真実




  みなさんはCentaur(セントー号)という救護船の話を知っているであろうか。 

オーストラリア国内に住む日本人は少なくとも知っておく必要がある話しであろう。


時は第二次世界大戦中の1943年5月14日、ブリスベン沖、モートンアイランドから

西へ45キロ付近の海を航海中の戦時負傷者や医師、看護婦など332名をのせた

Centaurが日本海軍の潜水艦、伊177の魚雷により撃墜されたという話である。 


この話、ただ単に軍艦を沈めたというのなら戦争話の1つにすぎなかったが、

この船、読んでのごとく救護船であり、船には大きな赤い十字架マークがありいくら

戦時中とはいえ世界協定では“攻撃をしてはいけない

はずの船”であったのである。 その攻撃をしてはいけない船

を日本海軍は沈めてしまい64名の生存者以外は全て死亡

という惨事をオーストラリア政府は度々、日本政府に謝罪の要求の話

が度々オーストラリアのメディアにでてくる話である。



話の焦点は、この潜水艦の指揮官であった中川肇(はじめ)少佐への責任と

「なぜ救護船を攻撃したのか」である。彼はその後の1948年の東京裁判

(極東軍事裁判)にて日本海軍潜水艦、伊37を指揮してインド洋にてイギリス商船

を撃墜したことには判決が下りているが、このCentaurに対しては何もない。

その後も彼が亡くなる1991年までその真相が語られる事はなかったので未だに

闇に包まれている。 


しかし、当時の日本の戦時下では下記の可能性があるように思える

(私の勝手な想像ではあるが):


1.日本海軍作戦司令部からの命令で行った。

2.中川少佐本人の独自判断で行った。

3.伊177の、当時の搭載器具の質では、敵と味方の区別はついても、
救護船と軍事関連の船の区別がつかなかった。



その1:日本海軍作戦司令部からの命令



これは何も日本だけを責めるのではないが、歴史を見ても戦時中

に“ばか正直”にそんなルールをきちんと守られていたのであろうか。 

フセイン政権時代のイラクとアメリカの話だって似たような話がたくさんある

のではないだろうか。 仮に中川少佐が反対していても“上からの命令”

でやった可能性はある。 この手の話、“戦争に負けた日本”だから

クローズアップされる話であって、各国、ほじくれば似たような話

は山ほどあるのではないだろうか。

(もちろん、救護船を攻撃するという事はよくない事であり正当化

している訳ではない。) 

話はそれるが、第2次世界大戦終了後の日本に駐留している

アメリカ軍が日本の家を襲ったり、女性を襲ったりした事はどうなる。 

そして、最近では沖縄に駐留しているアメリカ軍の犯罪問題

はどうなると言いたい。



その2:中川少佐本人の独自判断で行った


  よく戦争映画にこんなシーンがでてくる。 とある最前線にいる小隊又

は中隊が、戦時状況が悪くなり司令部から撤退命令が出て、

通信を使いその命令を聞いた小隊長又は中隊長が、その撤退命令とはうらはら、

全隊員に「負けや逃げは恥だ。 天皇万歳!」とばかりに“自決(切腹)”

を命ずるというシーン。 実際、沖縄がアメリカに占領された際の、

沖縄市民が集団自決したのがその当時の隊長の命令であったのか

どうかというのが論議されている。それと同様、彼の判断で攻撃した可能性もある。

なによりオーストラリアのメディアの1部も同様な意見を可能性の1つとして

取り上げている。 なにより後に坂本金美(かねよし)少将が発表した

レポートにはCentaur撃墜の責任は中川少佐にあると記しているが、

中川少佐本人は沈黙を保ったままであった。


その3:伊177の、当時の搭載器具の質では、敵と味方の区別はついても、

救護船と軍事関連の船の区別がつかなかった



  私は潜水艦を操縦したことがないので(一般人ならあたりまえか(笑))、

あくまで想像であるが、当時の日本の物資の流通といえば、

飛行機や船を造るといい、寺の鐘を持っていったり、最後は物資不足にまで

なる国である、各搭載機器の質が悪くても不思議ではないと思う。 

潜水艦のコクピットには前を見るためのスクリーンはない。 

全て計器である。 これは潜水艦を操縦するにあたり“目で見る”のではなく、

データにて操縦する“計器操縦”だからである。 ちなみに旅客機も、

驚くなかれ、同様に目で見る操縦でなく、どんな天候であろうと70%

は計器による操縦になる。 

想像してほしい、東京からロサンジェルスまでのフライト、

上は広大な空、下はきれいな海、目だけで飛んでいては、ロスに向かって

西に飛び立ったが着いてみたらチリでしたなんてこともありうる話です。 

よって計器のみを見て、現在地と目的地を確認しながら操縦するのです。 

潜水艦の“目”となるソナーは超音波を出して返ってくる音にて周りの状況

を判断し、スクリュー音にて敵の船か見方の船、またはどんな船なのか

を判断します。 そこで疑問なのが、いくら分野によってはすぐれた軍事技術

があった日本軍とはいえ、戦争も終わりに近づいている1943年、

最後は物資不足で“きちんとした物”を造る事ができていなかった時代である。 

この伊177に搭載されていた装備だって今から考えると“ありえない

”物質で“補われていた”可能性だってある。 そうなるとソナー担当者

がきちんとスクリュー音を聞き分ける事ができたのであろうか。 

そしてなにより、当時の日本の状況では、「味方でないものは全て敵だ」

としかソナー担当者にも教育してないなんて事もありうるのでは。



メディアなどの記録を見ると、大方、2番の「中川少佐本人の独自判断で行った」

になる可能性が高いが、やはり本人が沈黙を保ったまま亡くなってしまった

ので真相は闇に包まれているが、ここオーストラリア、

特にクイーンズランド州では、

4月25日の戦争体験者をたたえる祝日、Anzac Day近辺になると、

このCentaurの話はメディアによく出てくる。特に現在の州知事、

アナ・ブライ(Anna Bligh)氏は「日本政府は謝罪すべきだ」と表明しているが、

在豪日本大使館や日本政府はそれに応じていない。

驚いた事にインターネット版の新聞のこのニュース関連の書き込みを見ると

オーストラリア人は意外にも中立の立場の意見や過去の戦争の話として

捉えている人の書き込みが多かった。 オーストラリアに住む日本人

としてはありがたい感情の持ち方であるが、ひょっとしてメディア側

もこの話に関してはあまり国民を沸騰させたくないという思惑

もありそんな書き込みは消しているのかもしれない。


私個人の意見ではオーストラリア人は軍隊や戦争に関してはあまり

良いイメージを持っていないように思える。

(左翼的な意見を持っているの意味) 日本バッシングしか頭にない

中国人とは大きな違いがある。 教育の差と人間性の差と言ってしまえば

それまでであろうが、オーストラリアにとって戦争とは、常にイギリス

に振り回された“犠牲者”というイメージがあるのかもしれない。


この4月25日のAnzac Dayというのは、Australian and New Zealand

Army Corps の頭文字のANZACであり、第一次世界大戦にてトルコ

のガリポリにてオーストラリアは歴史上初の本格的な軍事海外遠征

をニュージーランド軍と共に連合国軍に参加した際の名称である。

この戦争でオーストラリア軍とニュージーランド軍はイギリス、フランス軍

と共に、当時、ヨーロッパで勢力を振るっていたオスマン帝国(現トルコ共和国)

相手に戦って多数の犠牲者を出している。その影響であろうか、

私の目にはオーストラリア人は“戦争や軍隊の話を避けよう”という感情

があるように思える。 ちなみに、そのANZAC軍がガリポリの戦いに

参戦するにあたり、移動の際、護衛を日本海軍がやった事実と、

当時、兵器を製造できるほどの工業力がなかったオーストラリアは、

大砲など日本製の物もあった事をオーストラリアのメディア

では一切記していない。



もちろん歴史や歴史に起こった事の真実を忘れてはならぬ。 

しかし、それと同時にその歴史を掘り返す事によりせっかく良い方向

に向かっている情勢を崩してしまうというのも良くないと思う。

戦時中にCentaurという船が日本軍により撃墜されたという事実

があり、多くの人が亡くなったという事実があり、戦争を知らない

世代の人達は敵味方、関係なしにその犠牲者や犠牲者の家族

に敬意を表すべきであると思う。 


しかし、それ以上の事は無理に掘り返すより船と共に海底

に眠っていた方が良いのかもしれない・・・・・




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# by ichurch_taka77 | 2010-05-02 14:33 | コラム