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国際結婚夫婦の韓流日記@ブリスベン


by Ichurch_Taka77
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まず始めに断っておく。  このエッセイはあくまでスポーツ面での話であり政治

や歴史の話は一切に含むつもりはないので、そっち方面の論議はやめてほしい。



話は今大会のワールドカップサッカーに出場している北朝鮮チームの話である。 

今大会、参加国の中で一番ランキングが低い北朝鮮(105位)であるが、

不幸にも「死の組」(Group of Death)と言われているGグループ

(ブラジル、ポルトガル、コートジボワール)にいる。

大会開始前、誰もがぼろぼろになる

北朝鮮チームの姿を想像したことであろう。

しかし、16日明朝に行われた第1戦の

対ブラジル戦では2対1で負けたものの大健闘の試合であった。

1点をブラジルから決めただけでなく試合を見ていても実に気持ちがよかった。 

1年に何億円という法外な年俸をもらっているスター選手がいるブラジルや昨日

のポルトガルの選手はボールが奪われたり、

思わぬ方向にボールが行くと大抵の選手

は追う事はしなかった。 が、ほとんどの北朝鮮の選手は大抵の場面で、

懸命にボールを追っていた。 

そしてなにより私がここで一番言いたく、とても強調したいことだが、

多くのヨーロッパ、南米の選手らはちょっとラフなタックルをされたり、

なっとくがいかない判定が審判から下されると、

とってかかり相手選手や審判に文句

を言っていた。それをやり過ぎてイエローカードをもらう選手すらいた。 

もちろん、それは人間なら誰しもがやってしまう事であろう。

しかし、私が北朝鮮の2試合、ブラジル戦とポルトガル戦を見る限り、

それをやった北朝鮮の選手は一人もいなかった。

どんなに強いタックルを受けようが、

すぐに立ち上がり次のフリーキックの体制に入り、(本当に長く倒れている選手

はいなかったと思う)どんなホイッスルを受けようが決して審判に言い詰め寄る事

はなかった。 そればかりか、倒れた相手選手に手をかざし起こしてあげたり

(もちろん他国の選手でもやる人がいたが、北朝鮮の選手に多かったように思う)、

審判に抗議している相手選手の肩をポンとたたきなだめたり、

実に見ていてとても気持ちが良い光景であった。 

どんな状況でも懸命にボールを追う姿、決して相手選手や審判

に抗議しないスポーツマンらしい態度、スポーツマンとしてとても

美しい姿だったと思う。 


そのせいもあってか、昨日の試合、前半を1-0で折り返し、

これはまたブラジル戦の再来かと思わせたら、

後半になりそれが一気に崩れ去り、ゴールを次から次へと

決められてしまった。 不思議と私も、まるで日本を応援するかのように北朝鮮

を応援してしまった。

「ひょっとして彼ら帰国とともに死刑にされるのでは」という心配と共に・・・・


そして次に私の目をひいたのは、前半が始まって何分頃であったか、

大雨が降り出した。

ポルトガルの選手は「こんな雨の中ではやりたくない」

と言わんばかりの顔であったが、

北朝鮮の選手はいかにも「こんな事、日々の訓練で慣れています」と言わんばかり

に平然としていた。(何の訓練でしょうか?(笑))

そして、逆に北朝鮮の選手の方が、動きが良くなったような気もした。


しかし、やはり後半になると、世界ランキング3位との

差がゴール前で出てしまった。

ミスもあったが絶妙なパスワークにより次から次へと

ゴールのオンパレード、最終的に7-0と歴史に残る大差で負けてしまった。


やはり北朝鮮となると海外からの評判を気にしてか、

“そのようにマナーが良い選手に仕立てている”

という考えもできるであろう。(そうなれば、私はだまされた事になるが(笑))

しかし、あの北朝鮮である、そんな“スポーツマンシップ”

より勝敗の方が何より優先であろう。(まあ、どこの国だって今はそうであろうが)

“それに徹底させる”という可能性は薄であろう。

何より何年か前の出来事であるが、相手の中国も悪いのであろう

が女子サッカーの中国対北朝鮮戦で両チームファールの応酬、

あげくの果て試合後に乱闘にまでなるという

試合があったのを記憶している。 


今回の北朝鮮の2試合を見て感じたのは、北朝鮮チームにはいわゆる“海外組”

と言われる国の外でプレーしている選手が在日韓国人・北朝鮮人選手の2,3人

であるという事であろう。 ひょっとすると中国リーグ

の経験者もいるかもしれないが、日本や韓国のチーム

のようにヨーロッパや南米リーグ経験者というのはまずいない

であろう。 もちろんそれは、“国を出れない”

という北朝鮮事情もあるからであろうが、

仮に国が監視付きの派遣であったとしても、

ヨーロッパや南米リーグに選手を派遣して

“外の国のサッカー”というのを習得できるならば、北朝鮮サッカーチーム

がベスト4進出常連国になる日が必ずくると思うのだが、

今の北朝鮮状況ではそれは無理な願いであろう。 


しかし、いつの日か仮にそうなったとしても、今日の試合のような闘士

あふれる姿とフェアプレー精神は忘れないでほしい。 


彼らを見る事ができるのが、あと1試合なのがとても残念である。 

彼らの帰国後の安否を心配しつつこのエッセイを終了する。




# by ichurch_taka77 | 2010-06-22 19:00 | コラム


さて、南アフリカで行われているFIFAワールドカップサッカー

は出場国の最初の試合が全て終わりこれからそれぞれの2試合目

の対決に入る。 あまり期待をしていなかった日本が勝ったり、

誰もが勝つと思っていた強豪スペインが、守備を重視したスイス

に負けたり、今回も楽しいひと時を過ごさせてくれている

トーナメントとなっている。



今回はそんなサッカーの話だが、みなさんは学生時代にサッカー

をやっていたという友人が、ポジションはどこをやっていたという

質問に対し「DF(ディフェンダー)」と答えたらどう思うであろうか。 

当然、サッカーと言えばFW(フォワード)の方が響きがよく、

かっこいいであろう。 

私の勝手な意見かもしれないが、おそらく一番響きが良いのがFWで、

一番響きが悪い、そして目立たないのがDFではないだろうか。



実は私、小学校2年生から5年生まで千葉県の地元にできたばかり

の少年サッカーチームにいた。 今では県内の強豪にまでなっている

らしいが当時はできたばかりもあり、たいして強いチームでもなかった。 

そんなできたてチームにて私のポジションはDFであった。 

自分で言うのもなんだが、私は運動神経はある方だと思う。 

しかし、当時私は蓄膿症があり週に1,2度は耳鼻科に通い治療

を受けていた。 鼻はいつも鼻汁で詰まっていて、

冬なんか大変であった。 そのせもあったのか、マラソンはいつも

思うように走れなかった。 なんせ鼻からの呼吸がうまくできないので、

当然、長時間走り続けると呼吸が乱れてくる。

そんな私を監督はDFにした。 


当時、ちょうどあの人気サッカー漫画、「キャプテン翼」

の連載が始まった頃である。 小学校では昼休みになるとみんな

外にでてサッカーなどをしていたが、漫画の影響であろう、

“当然”みんなFWである“翼くん”になりたかった。 

もちろん、私もその1人であった。 翼くんの得意技でもあった

“ドライブシュート”だとか言い、遠くからシュートを放っていた

ものである。 

(注:野球で言うフォークボールのように縦に落ちるシュート。

“漫画”ではゴール上空から落ちるようにゴールにつきささる。(笑))


そんな背景もあり当時、小学生であった私の頭の中での理解は、

「足が速くゴールを決めれるやつがFW, 

1試合中マラソンランナーのように走り続けれるやつがMF、

ドッジボールが得意なやつがキーパー、

そして、やるポジションがなく“あまったやつ”がDF」と思っていた。 

少なくとも私が所属していたチームや試合相手の連中を見ていると

そう思えてならなかった。 何度か監督やコーチにFWやMFにしてもらう

ように頼んだが返ってくる返事を当時の私はまるで理解ができなかった。


「何を言っているんだ! 君がDFをやらず、誰がうちのチーム

のゴール前を守る!君はDFのエースだよ!」 

この言葉を言われた事を20年以上もたってまだ覚えている。 

そして、その言葉を全く理解できず、逆に悲しんだ当時のフィーリング

も同時にまだ覚えている。


この言葉を理解したのははたして何歳の頃であっただろうか。

サッカーのフォーメーションを良く理解し、あれこれ本を読んだり

ネットでそれ関連のページを見るようになった20台半ばの頃では

なかっただろうか。 当時の私からすればDFは“あまりもの”、

“何もできないやつ”のポジションであるのに、

なんで監督やコーチが私を“あまりもの”として絶賛するのか全く

理解できなかった。というより、その“あまりものエース”とでも

思っているのかとも思い少々の怒りもあった。

(ようするに、2,3流の下級人間の中では、ベストのやつ)

そんな“おもしろくもないポジション”をやっている私、

試合だって楽しいものではなかった。 

おそらくそんなふてくされた気分でやっていたせいであろう、

監督やコーチ、相手チーム、そして両親が「今日はナイスプレー

がたくさんあったね」とほめられても何を言われているのか

100%理解できなかった。 私からすれば、「俺は翼くんみたいに

ゴールを決めた訳でもないのに何を言っているのかこの人たちは」

といつも頭の上に?マークが飛んでいた。

確かに今でも、県内の大きな試合で、しきりに相手チームのFW陣が

「あいつには気をつけろ」と私を指差していたのを覚えている。

その場面だって、それは普段おとなしい私が試合では人が変わり

ラフにタックルしていたのを恐れているだけであろうと思っていた。

なんせ、私は“あまりもののDFくん”であって翼くんではない。

人から絶賛される理由なんて何もないわけである。


そんなおもしろくもないスポーツに私は嫌気がさしてきて、

もともと野球が好きであった私のところへ親しい友人から

少年野球チームの誘いがきた。 


「石の上にも3年」の私の両親の教えにも従い3年たった

小学校5年生で親からサッカーをやめてよい許しをもらいチームを去り、

いざ野球チームへ入った。小学校6年生と中学で野球をやった。 

そして月日が流れ、私はプロゴルファーを目指し高校からアメリカ

へ渡った。 アメリカの学校の部活は、日本のように1つのスポーツ

を3年間やるのではなく、季節に応じてそれぞれ部が開催され、

トライアウトにより選ばれた人のみがそのスポーツをする事ができる。 

よって卒業までに3,4つのスポーツを経験する事ができる。 

私が通っていたオレゴン州の高校は運動には力をいれておらず、

こじんまりとした部が多かったが、一応サッカー部もあった。

時は1990年。 当時のアメリカはサッカーって何? というくらい、

それはちょうどクリケットを知らない日本人のように超マイナー

なスポーツであった。 サッカーを経験している私は、

部のトライアウトに全く問題がなく受かるばかりでなく、

なんと、なんと、あの小学校の頃、あれほどあこがれた翼くんの

ポジション、FW。 しかもセンターフォワードのポジション

を手に入れたのであった!!  


高校時代の私はまさに翼くんそのものであった。 

ドライブシュートこそできなかったが(笑)ポイントゲッター

としてチームの中心人物になれたのである。


上記のように当時のアメリカ、サッカーをやるアメリカ人なんてごく

稀であった。 周りの強豪高校のサッカー部員は当然のごとく

南米やヨーロッパからの留学生でしめていた。 


そんな私のチームであったが、ここでも私が小学校の頃いだいていた

「サッカーポジションの方程式」どおりのフォーメーションであった。


FWにはサッカー経験のある私とクラスメイト(アメリカ人)

つなわちボールを蹴ることができる人、MFには冬にはマラソン部

に所属するやつら、キーパーには、ドッジボール部はなかったが、

バスケットボール部に所属する背が高いクラスメイトがそれぞれつき、

“やっぱり!!”というべきか、私が小学校の頃から抱いていた思い

を証明するかのように、今回サッカーをやるのが初めてという連中ら

がDFのポジションについた。 


目的があった高校留学というせいでもあろうが、

とにかくアメリカの高校、特にサッカー部活動はとても楽しかった。 

夢がかなって翼くんになれたのが大きな要因であろうが試合で得点

を決めた際は、なんだか自分がワールドカップの代表にでもなった

ような気分であった。 

もちろん、それが私が公式戦で奪った生まれて始めてのゴールである。


そんな楽しかったアメリカの高校時代のサッカーであったが、

月日が流れて私は20代の半ばを過ぎた頃、おそらく時は2002年

の日本と韓国で開催されたワールドカップが開催されている頃であろう、

その頃になると“ようやく”アメリカでもサッカー人気がでてきた頃

でサッカー関連の番組、雑誌、本、サイトなどがたくさん出回り始めた。


当然、大人になれば物の見方は子供の頃に比べ大きく変わる。

そのワールドカップブームにて出回っている出版物を読みながら

私はサッカーのフォーメーションなり戦術なりを勉強するようになった。

そうなると当然のごとくあの小学生の頃、頭にあった私の

「サッカーポジションの方程式」が頭をよぎった。 

確かにDFの方がMFやFWに比べて走る量が少なくてすむせいか年齢

が高い選手が代表に選ばれたり、長いプロ生活を送ったりもしている。

(もちろん例外もある)しかし、DFが“あまりもの”のポジション

でないというのをいろいろな出版物を読んで気づいた、

と言うよりそれに気づくのにいったい何十年かかっているのかと、

そんな自分にあきれたりもした。昔に比べてフォーメーション

が多彩になりいろんな場面に適応できる選手を求める現在なら

なおさらの事である。


 
そしてそんな私の人生を回想するかのように、

ふっと頭の中でIF(もしも)妄想ゲームが始まった。



私が小学生の頃に:

IF(もしも)私がDFというポジションをもっと理解し、

自分の天性のポジションだと気づいていたら・・・



IF(もしも)当時の私がサッカーの各ポジションの性質と重要性

をもっと理解していたら・・・



IF(もしも)漫画「キャプテン翼」の主人公、大空 翼くん

のポジションがFWでなく、DFだったら・・・



人生を“ああだったら”とか“こうだったら”なんて後悔するような

センテンスを言いたくはない。 人生は前を見るのみと思っている。 


しかし、この押さえ切れないIF(もしも)妄想をもう一言だけ

言わせてもらうなら。



IF(もしも)上記の3つがIF(もしも)でなく

Was(そうだった)なら・・・・・・



私は野球をやっていなかっただろうし、そうなるとゴルフをやって

いなかったであろう。(野球からゴルフに移ってプロゴルファー

を目指すようになった経緯は後日に) それは確かな事である。 

そして、そうなればアメリカに留学という事は100%

なかったであろう。 

おそらくサッカー留学という名目でヨーロッパのどこかの国へ

行っていたに違いない。


そして、

IF(もしも)私がプロサッカー選手を目指してヨーロッパ

に移り住んでいたなら・・・・・・


今週末、6月19日(土曜日)のオランダ戦の日本代表のDFに

私の名前があったかもしれない。


なーんていうのは、言い過ぎかもしれないが(笑)、

どこかのヨーロッパの国の4部か5部くらいのプロリーグ

に私の名前があったかもしれない・・・・


それは確かなことかもしれない・・・・・



ちょうど私の名前がアメリカの下っ端のプロゴルフツアー

にあったように・・・・



# by ichurch_taka77 | 2010-06-17 20:12 | コラム

天国からのささやき



その風景はいつもと変わらぬ風景であった。 

夕方の成田空港、夏休み真っ只中とあって海外旅行へ行く家族連れで

空港はにぎやかであった。一昔では海外へ行くなんて限られた人のみ

のものであったが、現在では国内旅行へ行くのと同じ感覚である。 


そんな海外へ行くのがめずらしい時代に育ったおじいちゃんとおばあちゃんは、

たまにだが、うちの家族と一緒にハワイへ旅行にでかける。6人家族(4人兄弟)

に2人を足して総勢8人の大移動である。

両親とおじいちゃん、おばあちゃんはあのハワイの常夏でありながらさらっとした、

きもちがよい天気がとても気にって入るようで、ハワイで何をするというより

のんびりするのが好きなようで、毎回それは楽しみにして

成田に向かったものである。


大人になってからこんな疑問が沸いてきたが、おじいちゃんとおばあちゃん

は第2次世界大戦の時代の人である。

おじいちゃんはれっきとして戦争に行っている。

そんな“敵地”の観光地に行く思いとはどんなものであるのか。

しかも場所はあの“パールハーバー”があるハワイである。 

大人になった今、聞いてみたい事でもあった。 

そんな事よりおじいちゃんは夜寝る時にヒリヒリしないようにと、孫である私らに、

ハゲかかっている頭に日焼け止めクリームをぬってもらうのを楽しみ

にしているようであった。 

そして、毎回、帰りの飛行機の中で「死ぬ前にもう一度来たい」

とまるでテープレコーダーに録音したかのように一字一句同じ言葉を言い、

お父さんが「ああ、そのためにも元気で健康にいなければね。

酒とたばこを控えなきゃ」とこれまた、同じ内容の返答をする

という親子の会話を毎回聞いていた。



今回もそんな和やかな雰囲気の旅行になるのかと思いきやチケットカウンター

へ向かう途中のエレベーターの中でおじいちゃんの具合が急に悪くなった。 

突然、口をおさえこみ、むせているようである。 心配になり私はおじいちゃん

の背中をさすったが、いきなりもどしてしまった。

エレベーターの中にはうちの家族以外の他人も乗っていたが、

そんな事より急に体調が崩れたおじいちゃんが心配でならない。

私はおじいちゃんの腕を支えながら、背中をさすってあげていたが、おじいちゃん

は何度も嘔吐してしまう。家族は心配そうに見つめ、

運悪くエレベーターで同席してしまった他人は迷惑そうに見つめ、

お父さんはなんだか“この時がきたか”とでも言いたそうに、まるで何か

をあきらめたかのように「ああ、しょうがないな・・・」とぼそりと言った。 


エレベーターのドアが開いたら私はおじちゃんをだくように支え、

チケットカウンターでなく医務室の方へとお父さんと向かった。 

後方では、これからエレベーターに乗ろうとしている他の乗客が無残

にもエレベーター内に散らばっている嘔吐を見て叫んでいる声がしたが、

そんな事なぞ気にもせず私はおじいちゃんを抱きかかえ医務室へと走っていた。 

そして、そんな慌てて空港内を走り回っている周りのシーンが急に空港から

病院の入り口に変わった。 

はっと気づいた次の瞬間、家族全員が緊急治療室の前で心配そう

に待機しているシーンとなった。 しかし、おばあちゃんだけはなぜかいつもの

おだやかな表情で立っていた。それはまるで長年連れ添った人のみができる、

悲しむのでもなく喜ぶのでもなく、そっと何も言わずに別れを告げるかのような

笑顔であった。



この話、実話でなく今日の朝、寝ている際に見た夢の話である。 

家族でハワイ旅行に行く話は実際にあった話だが、おじいちゃんが成田空港

で体調を崩した話は実話ではない。

毎回、けがも病気もなく楽しい家族旅行であった。 


しかし、おじいちゃんは10年ほど前に肝臓がんで亡くなっている。 

さすが戦争に行き銃を人に向けた経験があるとだけあって根性は豪鉄のごとく

備わっていると言いたいところだが、それが逆に命取りになり寿命

を縮めたような気がする。

「これくらいは、たいした事はない」とがんが見つかり体調が悪くなってもろくに

医者に通おうとはしなかった。 

そして、おじいちゃんが亡くなって数年後、私が小さい頃から枕元

で何度も聞かされていた言葉、「おばあちゃんはTちゃん(私の事)のお嫁さん

を見るまでは長生きするからね」という言葉をまるで

きちんと有言実行するかのように、

私が結婚して1年後に静かに永眠した。 



朝起きても、ベットからなかなか出る事ができなかった。 

なんだかぼーとしてしまい、家族みんなで行ったハワイがなつかしいような、

がんこなおじいちゃんがたくましいような、やるせないような。 

そして、おばあちゃんの、「おばあちゃんはTちゃんのお嫁さんを見るまでは

長生きするからね」という言葉がいまだに頭から離れないでいるのに何という言葉

で現してよいのかわからない、何とも言えない気分でベットの脇にしばらく

座ったままでいた。 もちろん楽しくはないが、悲しくもない、

何と表現してよいのかまるでわからない気分であった。 


ふっと壁にかかっているカレンダーを見たらもう6月である。 

そういえば6月は、ハワイへ行く8月に向けてそろそろ

“家族会議”をする時期である。 

8人総勢のスケジュールを合わせるのに始まり、ハワイで何をするかなど

話し合ったものである。 


私の寝室の窓から外を見ると、ここクイーンズランド州

のいつもながらの快適なすんだ空が見えた。 


そんな空を見上げながら、「さあ、6月だよ。 そろそろハワイ旅行に向けて

家族会議しなきゃ」とおじいちゃんとおばあちゃん

が天国からささやいているのかな・・・・ 


そう思えてならないし、そんな声が聞こえてきそうな、

すんだ青色の空であった。



おじいちゃん、おばあちゃん、僕は夫婦二人で幸せにくらいていますよ。

お二人もお元気でね・・・・



# by ichurch_taka77 | 2010-06-05 20:57 | コラム

やっぱり俺は犯罪者?



先日、こんな事があった。



妻がOffice Worksというオフィス用品や文房具などを扱う専門店

にてコピーをしに行ったそうな。勉強している本のページのコピー

を数箇所ほしかったらしいのだが、数ページのはずが何十枚

のページ分の料金を払ってきてしょげていた。 

そして、「コピー機ってこんな事できたんだ!」と言う。 


みなさんはご存知であろうが、コピー機はコピーサイズを1対1

から凝縮したり拡大したりすることができる。 

それを知らなかった妻はあれこれA4サイズでない本を

“四苦八苦のコピー運動“して数十枚のコピーとなってしまった

らしい。 後に店員に助けてもらったらしいが、

この”事件“を聞いて、”今になりやっと“結婚した当時

に周りの友人に言われた事をしみじみと実感した。




私たちは今年で結婚して6年になるが、結婚当時、

妻は韓国の短大を卒業後に日本に語学留学しその矢先に

私と出会い結婚した。 そうである22歳の社会人経験“なし”

の女性である。 おまけに当時、日本はヨン様を中心とした

韓流ブーム、周りの友人に結婚をする事を話すといつも

こんな会話だった。


Taka: 「今度、結婚する事になったよ。」

友人:「へー! おめでとう! で、相手は何人?」

(注:海外生活が長いせいか、ほとんどの人がこの質問をした。)

Taka:「韓国人だよ。 日本で出会ったから日本語べらべらだけど。」

(注:いまだに私は韓国語をしゃべれません。(涙&罪悪感))

友人:「へ~~~!韓国!! 冬のソナタだ~~~!」

(心の中で:「こういうのを“ドラマの見すぎ”というのだろう。」)

Taka: 「(笑)まあ、俺らの話はドラマと全然違うけどね。」

(心の中で:「冬のソナタ見た事ないし。」)

友人:「で、何歳なの彼女?」

Taka: 「22歳。」

友人:「えええええ~~~!! 犯罪~~~!!」

Taka: 「・・・・・・・・・」



このような会話は100人中100人とも同じパターンでした。(涙)

相手が韓国人と言うと“冬のソナタ~”と言い、

相手が22歳というと“犯罪~~”と言われ。


当時は何を言っているのだと“いつもどおり”人に言われた事

は何事もなかったかのように聞き流していたけど、

あの時の会話が今になり実感を得た。 


そうか妻は学生生活が終わってすぐ結婚したらオフィスなんぞで

働いた事がないからコピー機の使い方もろくにしらなかったんだ。 

なんとまあ・・・・



そりゃ、学生の時だって教科書や本をコピーする機会

はあったであろうが、サイズの凝縮なんぞ必要

もなかったのであろう。 

(逆にろくに勉強もしていなかったのではとつっこむ事

もできるが、さすがの私でもこの状況ではできません。(笑))



世間では若い女性と結婚したがる傾向にあるようだが、

“それ”を狙っているみなさん、上記のような事があっても、

すこしは大目にみてあげましょうね。 


まあ、妻はコピー機の使い方をろくにしらなくても、

彼女が作る韓国料理はとてもおいしいのでよいのですが、

なんだかかわいそうな気がしてならない・・・・



# by ichurch_taka77 | 2010-06-03 20:27 | コラム



  少々前のニュースであるが、オーストラリアという国

を一言で言うなら、良い言葉で言えばおおらか、

悪い言葉で言うならいいかげんという言葉がこの国に住む多く

の外国人から聞かれるであろう。 

しかし、ここまで“アホ”な話を聞かされると国柄というより頭

の中身まで疑いたくなる話である。



ここブリスベン市内の路上にあるパーキングメーターの話であるが、

なんでも路上に車を駐車してパーキングメーターにコインを、

駐車しておきたい分のお金を入れていざ帰ってきてみるとメーター

は“とっくのとお”に終わっていてみごとに駐車違反切符

をきられていたという話である。 

そしてその駐車違反の切符の時間を見てみると“お金を払ったはず”

の時間に切られているのだ。 

ようするに、1時間分のお金を払って駐車して、

1時間後に帰ってきてみると車に駐車違反の切符が切られていて

切られた時間が30分前になっているという訳である。 

ようするに、1時間分払ったのに30分後にメーターは終わっていて

駐車違反になったといういい加減な国ではすまされない話である。 

そんな“アホな話”に苦情が殺到した市は、調査したところ、

なんとメーターの時間勘定が25分くるっていたという事を発見

したそうだ。 なんでもこのメーター、最近になり新しくした物

らしいが、その導入の際にプログラムでもくるっていたのであろう。 

ケルビン・グローブ、ウールンガバ、とウエストエンド地域にある

メーターが一番問題になっているようである。 


ちなみに去年のブリスベン市のパーキングメーターによる“売り上げ”

は$15億だったそうな。 


そりゃそんなに儲けるだろう・・・・・ 



# by ichurch_taka77 | 2010-05-25 20:19 | コラム